-
とする.
☆ 写像とは何か?
ここでは,言葉の意味について考えることはない.それが「抽象」である.たとえば(左)-加群とは何か? と言われたとしよう.私は(今覚えている限りで)
①
②
③
④
をみたすような及びである,と答えたとする.では,非可換環とは何か? 加法群とは何か? 群とは何か? 二項演算とは何か? 順序対とは何か? 直積集合とは何か? 集合とは何か? というように用語の意味を遡り続けることになる(第一原因への言及).そして,最も重要なことは記憶というのは忘却するものである,ということだ.
もし,仮に①から④を答えたからといって,-加群の意味を知っている訳ではない.私は-加群の性質・作用を知っているだけで,「その物自体」をわからない.それゆえ,-加群それ自体に意味はない,と考える.私はこの無意味な物自体への質問を禁止する.私はただ-加群というものを受け入れて,ただその物がもつ性質や作用を書くのみである.
これより,抽象代数学での用語について物自体への質疑を禁ずる.もし,そのような問い質しがあれば,その質問者に対して事物の第一原因を答えて貰う.そして,集合や写像を考えるうえで,逐一その要素を考えたり,表示したりすることも止める.それが事物を抽象化する,ということに繋がると思うからだ.
このとき
と置き,より
という.
例1
(理由)
と置きより
-準同型写像である
を得る.▢
例2
(理由)
(剰余群の演算)
と置きより
-準同型写像である
がわかる.▢
例3
-
-
(理由)
と置く.より
-準同型写像である
による.▢
例4
(-)
とする.このとき
と置くとである.いま
と書け,は-準同型写像を成す.
(理由)
① であること
と置く.このときより
i.e.
であることがわかる.▢
② -準同型写像であること
(ア)
(イ)
を説明する.
(理由)
(ア)について
と置く.より
がわかる.
(イ)について
とくに-加群でであるから
と置く.より
を得る.▢